外国語って勉強する意味あるの?

どうもシジです

今回は外国語の必要性について書いて行きたいと思います。
 


外国語の必要性
 
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今の世の中、英語を話せた方が就活に有利だとか会社が英語教育に力を入れてたりしていますね。留学も昔と比べたら相当数の人たちがやるようになりました。

また、我々日本人は外国語、特に英語に関して、一般的に中学校から勉強を開始します。小学校でも英語に触れる機会はあるんですが、教科書を使って文法を勉強するといったのではなく、英語を使って遊んでみることが主だと思います。

しかし、ところによっては小学校から本格的に英語を勉強するところもありますし、2018年度からは、小学校の5, 6年生は英語を正式に1つの教科として勉強し始めます(今までは『外国語活動』としてであった)。また、小学校3,4年生は外国語活動として英語に触れることになります。

このように、一般的に英語の必要性は高まっているという結論は上記の経緯から正しいと言えます。

それでは長期的な視点ではどうなのか?

私はテクノロジーに詳しくはないので、どこまで可能性が広まっているのか全然想像つきませんが、一つだけ言えることは、

『外国語を勉強する必要のない』ように世界中のIT企業は日々努力しているということです。

今でもGoogle翻訳をはじめとした翻訳サービスがあります。これを利用した人はわかると思いますが、翻訳の正確性がアップデートするごとに高くなっていますよね。また最近ではGoogleが40ヶ国の言語を同時通訳できるワイヤレスイヤホンを発表したことで注目を浴びています。

http://ggsoku.com/2017/10/google-officially-announced-new-wireless-ear-buds-pixel-buds/

こんなニュースを見ると、近い未来、本当に外国語を勉強する必要がなくなるんじゃないのか、と思ってしまいます。

もし、そうなったら相当楽ですよね。今まで英語に苦しんでいた人たちは、これからは苦しまなくて済む。小学生、中学生、高校生、大学生は英語を勉強しなくてよくなる。その空いた時間を別のことにも使えますからね。日本人がどれだけ英語という言語に時間を費やしているかを考えれば、新しいテクノロジーの恩恵は相当日本人にとって有益と言えます。

しかし、その翻訳技術がどこまで進化するのかはまだ未知数です。

正直、完璧に翻訳できるかどうか、とても疑問です。

なんせ扱っているのが言語だから。その言語を翻訳する際に、考慮すべきことは単に単語だけじゃないですよね。その言語の話し手が伝えたい気持ちやニュアンスをちゃんと考慮してあげる必要がある。

この例はあまり良くないかもしれないけれど、日本には俳句というものがあります。あれは文自体は短いのですが、その文の意味を書き出すと句より長くなります。

つまり、補足説明をする必要があるんです。

しかし、もし俳句を知らない人が俳句を英語に訳すとどうなるか。その句の意図を汲めるはずもありません。その俳句の文章をそのまま訳します。そして、そのまま英訳された俳句を見た人は、その俳句を見て感動するのか?

感動するはずがありません。

なぜなら、その英訳された俳句は、実際のところ俳句ではなく、ただの意味のない文章に過ぎないからです。まあ、この例はちょっと適切ではない気がします。日本人が日本語の俳句を見ても、その意味を理解できるかといったら難しいので笑 

だけど、ここで私が伝えたいのは、言語はやはりコミュニケーションに必要な道具に過ぎず、我々が話すことには各々が伝えたい気持ちが加わっているということ。この気持ちは言霊とも言い換えられますが、国々の特有な言語におけるニュアンスとも言い換えられると思います。

なぜなら、言語は人間が発明したからです。

この世界には、性格や考え方が異なる多様な民族がいて、言語もそれだけ多様性にあふれています。言語の中には、そこの地域の文化や考え方が、そこの言語特有のニュアンスとして組み込まれています。

果たして、このニュアンスを機械が理解して正しく違う言語に翻訳できるのか?

未来のことは全然わからないので何とも言えませんが、今の段階ではとても難しいのではないかと思います。ただ、今の話はとても高度なことであるとも思います。実際、観光なんかで英語を使うときは、上記のことを気にすることはそんなにないですよね。場所や値段を尋ねたり、説明を受ける際の翻訳の難易度は今の翻訳技術でも全然通用するレベルです。

そのため、重要度の高い正確性が求められる翻訳が必要なとき(重要な会議、本、映画など)以外は、別に言語の翻訳を機械に任せても何の問題もない気もしなくもないです。

 

人は人の言動に感化されるもので、そこにストーリーが生じる

何の問題もない気もしなくもない。しかし、考慮しなくてはならないことがあるとすれば、

それは、人は人が話す言葉に感化されるということです。人の話に感動することもあれば、人の意見に対して不満を持つこともあります。


例えば、私の場合、外国人の方が日本語で挨拶をしてくれたりお礼を言ってくれたりする時なんかとても嬉しく感じます。別に英語でも彼らの母国語を使ってもいいわけですよね。しかし、わざわざ彼らは、私たちの母国語である日本語で気持ちを伝えてくれました。そしてここに、私とその外国人とのストーリーが生まれるわけです。

別にたいしたストーリでもないですし、ほんの少しの間だけの関係です。しかし、そこには確かに、その外国人が日本語でわざわざコミュニケーションをとってくれて、それに対して私が感化されたというストーリがあるんです。

これは外国人に限らず全世界共通のコミュニケーションにおける基本的なことだし、また非常に重要なことだと思います。そして、ここに外国語を勉強する意味があるんじゃないかと思っています。
 

最初は挨拶からでもいいと思います。海外に行って、現地の人にその国の言語や方言で挨拶してみてください。それを聞いて、彼らはどう思うでしょうか。少なくとも悪い気になんて絶対ならないですよ。だって、わざわざ自分たちの言語で接してくれたんだから。きっと嬉しい気持ちになってくれるはずです。たとえ拙い外国語でも、自分の気持ちや熱意が乗った言葉(言霊)には、きっと相手は理解してくれようと努めてくれます。


つまり、その相手はあなたの言葉に感化されます。果たして、この大変重要なコミュニケーションの機能を機械がちゃんと担ってくれるのか甚だ疑問ではあります。もし、それも完璧に担え、かつ翻訳の質も正確であるならば、外国語を勉強する必要は全くないのかもしれません。果たして、そのレベルまでたどり着くのかどうか笑

 

外国語を使える面白さ

当たり前ですが、外国語は勉強するだけじゃ意味ないです。実際に使ってみないといけない。そして、使ってみるとわかると思います。

外国人と話すのがすごく新鮮で面白いということ、世界は広いということ。

その快感を知れば、より一層外国語を勉強しようと思えるようになると思います。

余談ですが、マイナーな外国語を使えたら、日本での生活が少し楽しくなります。なぜかというと、基本的に周りは全くわからないから。私は多少インドネシア語を話せますが、インドネシア語なんて日本で話せる人は全然多くありません。なので、人通りのあるところでインドネシア人やインドネシア語が話せる友達といる時なんかは、周りのことを考えず何でも話せます。

これすごく気持ちいいですよ。おすすめです笑
 



まとめ

外国語を勉強する意味は、当たり前ですが外国人と話すためです笑 

しかし、そこには機械では代替できないコミュニケーションの機能が備わっています。つまり、機械が間に入らない話し手と聞き手だけによるストーリー。

今後、外国語を勉強しなくてもいい時代に向かっていくわけです。外国語に苦労する手間が省ける分、これは世界にとって有益なことであると思います。

しかし、人は人の気持ちが乗った発言に感動することを考えれば、外国語を勉強する意味はきっとあるのではないかと思います。

 

それでは!!